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☆SNS掲載許可いただいています。
思い出した。
初めて遠征に行った時。
行き先はクウェート。
アジアカデ選手権。
そうなんです、クウェート行ったことあるんです。
初めての国際試合。
結果は覚えていない。
多分予選落ち。
繰り上がりで決まった代表枠だった。
サーブルを初めて半年くらいだったろうか。
私にはサーブルを教えてくれる大学生だった師匠がいた。
本当におかげさまである。
それから、種目をかえて、
フルーレの遠征にも行ったことがある。
高校生はほとんど日本代表枠で動いていたので、
クウェートを皮切りに、
フランス、スペイン、フィリピン、イタリア。
大学生からは、
イギリス、マカオ、香港、韓国、、。
何回も行っている国もある。
もはや何カ国行ったかわからない。笑笑
今現在これ以外に、
メキシコ、フィンランド、オランダ、
ロシア、チュニジア、ドイツ、、、。
フェンシング以外でも行っている国多数。
こうした遠征。
私は基本的に自費だった。
支えてくれた家族に感謝である。
いくら投資してくれたことか。
そうやって世界を回ってきた。
初めて行った遠征は、
何が何だかわからなかった。
それでも、フェンシングは世界の方が有名な
スポーツなんだと、知った。
海外の方が、本場なんだと。
お隣の韓国は、めちゃめちゃ強い。
プロがあるくらい、強い。
日本は当時はまだもっとマイナーだった。
今回一緒に行く子たちは中学生。
何年も前の私のように、
こういった機会を皮切りに、
どんどん世界と関ってほしい。
その経験が、将来の選択肢に活きるはずだ。
世界にはこんなに沢山のフェンサーがいるんだと。
英語は世界を繋げると。
君たちには沢山の可能性があると。
私は1人でイタリアに来て、
本当に日本とは全然違う世界に慣れるのに必死だった。
それでも、どうにかやっている。
日本人が世界で勝つ方法は、絶対にある。
自分に合ったものを、自分で探す。
昔、帯同して下さったコーチ達も、
こんな気持ちだったのかな。
イタリアと日本を繋げ、発信する。
そして、自分も学ばせていただこう。
勉強、勉強である。
さぁ、ポーランドだ。