最近コアラのマーチにハマっている。
一位はブラックサンダーだが、今のマイブームはコアラのマーチ。
え?なんで持ってるのって??秘密。
今日はこれまた最近急に連絡がきた先輩の話を勝手にしようと思う。笑
先日お世話になったトレーナーのあおいさんとたまたま交流があったとのことで、
写真が送られてきたので、すみません勝手に載せます。
私のTシャツ!!!あおいさんありがとう( ´∀`)
世界中で今この1枚しか作ってないので激レアです。笑
この左側の女性。今はママである。
私はこれまで本当にたくさんの恩人に出会ってきたけれど、
この方もその1人。
未だに忘れられない言葉がある。
「ねえ、まず一緒に日本一を目指さない?」
安西先生じゃないよ笑 そして私は流川くんみたいにカリスマでもない。笑
当時大学生だった私は、大学2年生まではW杯などに出ていたのだが、
四年生になる頃には、全日本学生選手権でも全然結果を出せずに大学生活を
終えようとしていたにも関わらず、世界の舞台で戦うのを目標としていた。
到底実力など足りないのに。イキっていた。
櫛橋終わったな。そう、そんな終わった選手だった。
昔は強かったのにな。そう、そんな選手だった。
そもそも大学卒業時点で、留学したかったのだが、
資金も実力も根性もなく、フェンシングしたいという気持ちだけが
先走っていて、就活もせずに途方にくれていた。
海外に行きたい!!!でもお金ない!!!!
フェンシングしたい!!!でも雇ってくれる企業が見つかるほど結果がない!!!
そう、甘かったわけだよ、全てが。
今でも誰かに雇ってもらえるなら本当に光栄だが、
もうこの際めちゃめちゃ勉強して大学の奨学金を勝ち取る方が有益な気がする。笑
スポンサーいつでも募集してます。切実に。笑
就職先が見つからなければ、学校の先生の勉強をするしかないと思っていた。
教員免許は取得していたので。実技のできない体育の先生。笑
そんな甘ったれた私を大学生の頃から面倒を見て下さっていたのが、この先輩。
大学ではサーブルコーチがいなかったので、日本各地に自分で遠征に行っていた。
バイトをし、その資金で長崎、東京、愛知、その他全国。
剣を持って修行の旅に出ていた。
そして、大阪の実業団。当時は全日本で本当に連覇を何度もするくらいの強豪。
私を練習に迎え入れて下さった。しょっちゅう大阪まで練習に行っていた。
へっぽこな私を、レッスンし、教え、
本当にたくさんご協力いただいた実業団。
もう1人、今では元チームメイトになった頼れるキャプテンもいる。
ああ、会いたいよ。やぎちゃん。
そんな会社から声がかかったのは、大学を終えようとしていた時期だった。
ただ、全種目しないといけなかったのだ。3種目。
サーブル人を自負していた私には、苦渋の決断だった。
しかしそもそもフェンシングをさせていただけるのだから、ありがたい。
幸運にも、私は大学時代にも全種目やらざるを得ない状況だった。
そして、フルーレはずっとやっていてある程度の実績があった。
きっとここに入れば私は強くなれる。そう思って、お願いした。
この先輩が、全身全霊を尽くしてくれた。
強くて、頭が良くて、私の憧れだった。
教えるのがうまくて、レッスンをとってもらうことが大好きだった。
入れば強くなるんじゃなくて、強くならざるを得ない環境に身を置いたのが正解だった。
日本一のチームに入れば勝手に強くなると思っていた。
そんなわけなかった。毎日まじでキツかった。
それを支えてくれたのは、相棒である。
私には最強の同期がいた。これも幸運だった。
仕事なんだから、どうにかして3種目共プロレベルにする方法を考えた。
おかげで、3種目共、できるようになった。
これって、日本では大いにあり得るけど、イタリアでは全くあり得ないことなんだ。
国体の種目選びには私は大いに意見したい。おかしいよ日本。
テニスと卓球とバドミントンぐらいの違いがあるんだよ。
同じフェンシングでも、全然違う。
同じラケット競技でも、全然違うのと同じ。
ルールも、剣も、試合方式も違う。
国体はフルーレだけにした方がいい。日本で一番普及しているのだから。
エペとサーブルを一年交代で開催するから、おかしいことになるんだよ。
それなら、3種目開催するか、フルーレだけにするか。どちらかだ。
そんな国体で、日本一が目標。
2014年に達成した。最強の仲間の力を借りて。
偶然のない、努力して過程を得た後の結果。
この件はまた後日書き綴ろう、2014年のミラクルストーリーがある。
3人で試行錯誤して過ごした一年の結果。懐かしいなあ。
話が逸れたけど、私はこの先輩に出会ったことで本当に人生が変わったのだ。
最強に恐かった。最強に強かった。
そんな人にあの時出会えた
おかげで、私はその会社に入ることができた。
おかげで、キャプテンとしてへなちょこな私にたくさんの事を伝えて下さった。
おかげで、プロとしての実力がついた。
おかげで、国体優勝して日本一になることができた。
おかげで、社会人を経験して、いろんな事を学び、タフになることができた。
おかげで、留学資金を貯めることができた。
おかげで、イタリアに来れた。
おかげで、今、生活できている。
おかげで、ナショナルチームとして世界を転戦できている。
私にできることは、もっと頑張って立派な選手になること。
この先輩にはご夫婦共々、お世話になりまくっていたわけだ。
胸張って、日本に帰れる選手になる。
いつか言うんだ。
あなたのおかげで、私はまともになりましたって。
こんな人間になれましたって。
私は最強にこの人を尊敬している。今だに頭が上がらない。
超厳しくて、こわくて!!笑
何回も泣いた!!!笑
まじで恐すぎる、、、。やべえ。。。何回思ったか。
私1年目、全日本予選で負けて、全日本選手権すら出られないへっぽこで。
みんなの全日本を仕事しながら応援していた。
国体のメンバーになんて到底入れなくて、
2年間マネージャーかのようにチームのサポートをしていた。
ベンチを温め続け、2年。キツかった。何度もやめようと思った。
でも、相棒がいてくれたので、毎日頑張れた。
3年目でようやくメンバーだ。なので正直2年間しかメンバーではなかったわけだ。
結果を出したのは後半2年。4年のうちのたった2年。プロだったら初年でクビだ。
そんなへっぽこでも在籍させてくださる実業団。
厳しかったけど、育ててもらった。大阪に。
そんな修行の2年間。最初の1年しか一緒に練習できなかったけど、
とにかくめっちゃ可愛がっていただいた。わんわん。
もうすぐ、あの時の先輩の年齢になる。
私はあんなに大人にはなれないみたい。笑
ああ、だめだ、この人に関して書き始めたら止まらないや。
それぐらい、私のターニングポイントにいてくれた人だ。
感謝してもしきれない。
普通の選手だったら、大学生活に結果を出して、
卒業間際にスポンサーが決まって、ダイレクトにナショナルチームだ。
私は遠回りをしすぎている。
大学生、社会人、海外生活を経て、
本当に出口のないくらいの迷路を迷いに迷った挙句の今。
選べるならどっち?
きっと私はまた後者を選ぶ。
おかげで関わった人が多すぎる。
支えてもらっている人や、恩人や、
私に影響を与えてくれた人が多すぎる。
ついでにイタリア語喋れるようになるしね。
そうやって過ごしている今の過去に、
現れて、手を差し伸べてくれた人だ。
もし、このブログを先輩が見つけてくれたとしたら、
私はこう伝えたい。
また一緒にフェンシングしましょう。
そして、ボコボコにしてください。って。笑あはは。
あなたは私の恩人の大切な1人です。
いつか胸張って帰ります。
どうかこれからも、あなたとあなたのファミリーが、
私と一緒にフェンシングしてくださりますように^ ^
出会いに感謝してもしきれませんよ。
勝手に載せてごめんなさい。笑
’’君と繋いだ全ての夢をいつか
空に振り上げろ 僕らのFLAG 高く高く!!!’’