フェンシングをしている時、
ピストの上に立ったら、
私はいつもの優しいヘロヘロくしはしから、
変貌する。
その間、私の頭の中は戦術とメンタルコントロールが渦巻いている。
アスリートって、ポジティブな言葉を自分にかけられないとやってられないよね。
特に私の種目のサーブルなんて、一瞬で勝負が決まっちゃうから、
できないかも。。。。 なんて一瞬でも迷うと、
この前までの私みたいに何も決められないまま試合して、
負けて、泣く。笑
はい、決めた!!!できる。私はできる。
常にこれぐらいの声かけを自分にしている気がする。
できない ってことを自分の辞書にはない言葉にしちゃう。
例えば、人と会話するときも、
ああ、この言葉を使うか、それともこの言葉を使うか、
私よく考えるのだ。
自分の中でオートマチックに湧いてきた言葉っていうのは、
たまに人を傷つけてしまう可能性のある言葉の場合もある。
例えば、家族に、
もう構わんといて!!! って言いたくなるときもあるとする笑
それが湧いてきた時に、
うーん、ちょっとしばらく放置しといてもらえますか? とか
今日はちょっとダメな日なので、機嫌が悪いみたいです私。 とか
言い換えたりね。 心がけてはいるんだけど、できない時もある。
がむしゃらに自分の意見を述べたい時もある。
が、そこで一息。
私がもしこの言葉を発して、この人を傷つけてしまったら、
私は本当は全く傷つけたくなんてないのに、意図とは逆じゃないかと。
なら、違う方法で言い換えて、伝える方法を探す。
糸井さんも言ってたし、自分もこの前言ったけど、
言葉を刺す んじゃなくて、 私は 包みたい。
人に言葉を刺したいか? 否。そんなの誰が救われる?
刺した人も刺された人もお互いに傷つく。
むしろ刺した人の方が傷ついていると私は思う。
特に日本語は繊細だから、余計に気を使う。
イタリア語なんて、その人の顔や態度や身振り手振りで伝わる方が多い。
繊細なおかげでこうやって日々細かい文章が綴れて、考えられるんだけどね。
それが別に伝わらなくてもいい。届かなくてもいい。
ただ、私はあなたを包む言葉を届けますよという自分のモットーなだけ。
クシギブについて毎回考えているけど、
絶対言葉を刺さない。
選手を否定するコーチや教師がたまにいる。
絶対私はついていかない。
あなたが否定している選手はあなたの選手ですよと。
私のコーチたちは、私たちを否定することを絶対言わない。
そんなんだからできないのよ。 聞いたことない。
よく言うよね日本人。
お前はそんなんだからダメなんやあああああ!!
って。私も仕事で何回言われたか。
仕事は否定してくれていいけど、人格否定しないで。
自分の人格を他の人に否定されていい訳がない。
そんなことを言うから、言う人の人望はいつだって急降下だ。
さぁ、どうやったらできると思う???
いっつもこうやって質問を投げかけてくれる。
そんなコーチだから、側にいるのだ。
ピストの上で戦うのは自分。
相手は一人。審判も一人。
さぁどんな言葉を自分になげかけようか。
今、ここに。
もし、疲れている人がいたら、このブログを読んで。
今日は朝からリビング水浸しでインターネットも壊れたけど、
ちゃんと直ったよ。
久しぶりにケバブを食べたら、お腹にひっくり返ったよ。
ケチャップまみれになったよ。
お風呂がうまくお湯が出なくて寒いよ。
お風呂に入るたび風邪を引いた気分になるよ。
剣袋の持ち手が取れてただの剣入れになったよ。
どうやって運べばいいのかな、剣。
髪の毛がないから、お風呂は早くて便利なんだけど、
結局髪の毛乾かすの早くても、毛がないから 寒いよ。
毛 って言うのは関西弁なんやってなあ。
同居人のうざ父からいつも鬼のようにメールがくるよ。
うざすぎてもはや無視だよ。
ケバブ屋さんのおじさんに、
どこの高校行ってるの?って言われたよ。笑
はい、イタリア生活は苦難ばかりだけど、頑張ります。笑
はっはっはー
今日のクシギブワードは、
困り果てた時は、一旦、美味しいものを食べる。
大丈夫。クシプロはあなたの側にいるから。