KUSHIZZI PROJECT  櫛橋 茉由

KUSHIZZIPROJECTオフィシャルブログ

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生きるということ

何年か前からの自分の信条がある。

 

 

明日死んでも後悔しない今日を過ごす。

 

情報にまみれた現代では、事件や事故のニュースなんて飛び交っているけど、

それが自分の近くでも起こりうる話だと認識できている人は果たして何人いるのか。

 

私は幸運にも、食べ物にも生活にも勉学にも家庭環境にも何も困らず、生きてきた。

だからこそ、人間の欲求の一番上にある部分、

自己実現について挑戦するステージにいる。

 

これが、何かに困って生きてきたなら、

自己実現よりも、その前の段階でそれを打破すべく生きていただろう。

 

では、そのステージにいる人間が何をできるか。

今の日本にはこのステージの人間が山ほどいる。先進国が故。

 

食べなければ死ぬ。

 

それに困らない人間達は、だんだん死というものを忘れていくのではないか。

 

 

明日が来る理由ってあるかい?

 

ない。

 

私が毎朝起きたら必ずフェイスブックを開けるのは、日本のニュースがすぐにわかるから。

 

7年前、大学生だった私はトルコのワールドカップに出場していた。

 

 

朝起きたら、地震のニュースを知った。

テレビをつけたら、津波で人が流されていた。

 

日本で大きな地震がありました、と。

試合どころじゃないよね。

 

みんなで帰った成田空港は、閑散としていた。

忘れない朝。あの日から私は毎朝フェイスブックを開けている。

 

 

今日自分が過ごした一日は、

明日死んでも後悔しない一日だっただろうか。

 

 

毎日自分に問いかけている。

 

毎日が最後だと思って、人に接していた。

最近疎かになっていたけど。

 

 

 

人は外から見てもわからない暗い部分を持っている場合もある。

 

暗い部分があるからこそ、

明るくなれるんだと思う。

 

暗い部分を知っているからこそ、

優しくなれるんだと思う。

 

もちろん私も持っている。

だからこそ、人間なんだと思う。

 

 

もしかしたら私は、何か失敗して

急に死んじゃうかもしれない。

もしかしたら75歳まで生きているかもしれない。

 

生きるということは、要素が全て与えられていたとしても、その人のいるステージ毎に悩みは発生するわけで、全くもって簡単なもんじゃないのかもしれないけど、

 

誰にも見せない暗い部分があるのかもしれないけど、

 

 

それでも 絶対 に生きている毎日は生きていなくなる毎日より素晴らしいものであるはずだ。

生きていない毎日を知らないから断言はできないが。

 

 

喜ぶ人と共に喜び 泣く人と共に泣きなさい

 

求めなさい そうすれば与えられる

探しなさい そうすれば見つかる

門を叩きなさい そうすれば開かれる

 

 

私は無条件で人に寄り添いたい。

一緒に笑い合いたい。

生きていて出会った人達と

色んな楽しいことを企画していきたい。

 

だから、まだ死ぬわけにはいかない。

 

 

年上の人に学び

 

年下の人に教わり

 

毎日を全力で生きること。

 

可能性に挑戦すること。

 

 

 

やってみなきゃ、わかんねえから。

 

 

そして、同じ立場の人を応援しよう。

 

 

 

 

 

もしこのブログをちらっと見た人が

今日のこの記事を読んで、

ちょっと元気になってくれたら嬉しいな。

 

 

あなたが誰も側にいなくて、一人きりだというのなら、

 

 

私と私のプロジェクトがあなたの側にいよう。

 

 

あなたが落ち込んで、笑えないというのなら、

 

私のすべらないというか、すべれない話を読んでくれ。

 

 

 

人を救うのは、言葉と行動。

 

 

 

そうやって明日も全力で生きていこう。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、髪の毛がなんだか、まだネチャネチャしている気がする。

 

明日はお風呂には入れますように。笑

 

 

 

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