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KUSHIZZI PROJECT  櫛橋 茉由

KUSHIZZIPROJECTオフィシャルブログ

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誰かの涙を。

見たときに、その理由を思う。

 

 

 

何かに一生懸命な人というのは、

その一生懸命なもののために泣く。

 

 

つい最近その涙を見たときに、

感じたことがある。

 

 

試合で負けても、涙が出ない試合が

3試合続いた。

 

 

理由はわかっていた。

だから、涙が出なかった。

 

 

 

大人になればなるほど、

頭に冷静さと分析力がついて、

がむしゃらな涙が出なくなった。

 

 

本当に必要なのは、

本気とがむしゃらな涙。

それを思い出させてくれた、誰かの涙。

 

 

 

人が悲しくて悔しくて泣いているのに、

その涙が美しいと感じた自分は

少しひねくれているのかもしれない。

 

 

 

泣かないというより、

泣けないくらいに冷めている。

 

 

ベルギーまでは、がむしゃらだった。

 

 

そこから、何かがまた崩れていった。

 

 

 

 

自分には、その一生懸命さがあるのだろうか。

 

 

 

 

誰かの涙を見て、感じた。

 

 

 

 

自分を分析する冷静さは、

時には必要ないのではないか。

 

 

 

涙を流せる人がうらやましいと感じた。

 

 

泣けるほどに、がむしゃらでない自分。

 

 

冷めている自分。

 

 

 

これをまた熱くさせるには、一ヶ月半必要だ。

 

 

がむしゃらな練習が必要だ。

根性の練習。

 

これって、日本人には必要な練習なんだよね。

私にも必要。

例えば同じ動きをひたすら繰り返すような。

 

はたからみたら、バカバカしい練習。

 

 

だけど、限界を見て初めて、

最後の馬力が出せると思うんだ。

 

日本人。

 

 

そして、

 

 

 

 

泣いている人を見ると、

 

 

いつも手を差し出したくなる。

 

 

大丈夫だよ。って。

 

 

別に何も必要ない。

 

 

ただ、そこにいて、側にいるだけ。

 

 

 

泣いている人に、私は何も声をかけられない。

 

 

 

ただ、いるだけ。

 

 

 

助けて と言われて初めて

 

 

助ける。

 

 

 

どうしたらいい? と言われて初めて

 

 

提案する。

 

 

 

泣いている人の涙の理由は、

 

泣いている人にしかわからないから。

 

 

 

 

もし、あなたが涙を流す時があるなら、

 

 

 

ただ側にいるだけの人が

ここにいることを思い出してくれたらいい。

 

 

 

私は私の大切な人が泣いていて、

もし私に電話をかけてくるなら、

 

何時間でも繋げているよ。

 

 

 

国が違ったって、

世界のどこにいたって、

 

涙を流す人のただ側にいるだけだ。

 

 

 

 

それが誰かの救いになるなら、

 

 

私の存在意義の一つになり得るだろう。

 

 

 

 

 

どうしてこんなことを書いているかというと、

 

 

最近本気の涙を見ることが多かったからだ。

 

 

 

ずっと考えていた。

 

 

 

自分が冷めている理由も。

 

 

冷めるぐらいしか努力していないのだ。

 

毎日もっと必死で、取り組んだってよかったのだ。

 

 

 

次の試合は、

 

嬉し涙を流そう。

 

 

大きな混乱から脱出した、

 

嬉し涙を。

 

 

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