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KUSHIZZI PROJECT  櫛橋 茉由

KUSHIZZIPROJECTオフィシャルブログ

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思えば、孤独は美しい。

 

思えば、孤独は美しい。

思えば、孤独は美しい。

 

 


天才か秀才か

さて、オフオフモードから

外に出て行くモードに切り替えである。
疲れも取れた。筋肉の張りも。
行ってみよーかどー。

 

 

 

最近かなり昔のように本を読みだした。
社会人時代には読んでいたのだが、

イタリアに来てから
イタリア語の勉強に必死でなかなか読んでいなかった。
勉強の目標としては、4月のイタリア語検定を

現在視野に入れている。

 

というわけで、本日は天才と秀才について考えてみる。

 

 

 

私が思うに、

アインシュタインゴッホダヴィンチは、
天才である。


先天的にIQが高いだとか、何か特殊な能力を持っているか。

それと引き換えに何か苦手なことを持っている場合も然り。

 

では、秀才とは何か。
後天的に付け加えられたもの。
特殊な能力はないが、学習により得た力。
先天的に苦手なことは、あまりなかったりする。


自分はどちらに属するか。
人間全体をどちらかのグループに入れるか考えたときに、


私は 秀才 の方のグループだろう。
私の好きなシンガーや作家の人は、

きっと 天才 の方だ。

 

そのため、そちら側の人に尊敬と憧れを抱く。

実際自分の周りには、 秀才 の側の人ばかりな気がする。

そりゃそうか。スポーツだものな。
練習が得意なのは秀才だろう。
物事の積み重ね。時には天才もいる。
しかし、天才はさっさとスポーツを極めて、
他の世界に行ってしまう。残るは秀才。


天才 が進む道は、

きっとアーティストだったり、
リエーター、デザイナーだったり。
何か独創的なことを考え、生み出す人間だ。

 

 

 

先日、 糸井重里さんの本を買った。

「思えば、孤独は美しい」

一年に一回、糸井重里語録を本にしたものらしい。

 

丁寧な、美しい本。

 

’’「いっしょに、いたっけなあ」と思うこと。’’


’’「さみしさ」が一番の価値なのではないか。’’

 

優しい本だった。大事にしたい。

 

この人は、きっと 天才 の側の人間だ。

私はなんと間違って2冊購入してしまっていたのだ。

誰か本が好きな人にプレゼントしよう。そう思った。


天才は秀才のことを理解できないし、
秀才は天才のことを理解できないのかもしれない。

その両者が手を取り合えば、すごいプロジェクトができる気がする。

だって、全くの別物だから。
私はあくまでも教科書に沿った考え方というか、
世間一般の考えから、

自分の考えを発展させて行くことの方が得意で、


一方で天才たちは、全く何もないところから
すてきなものを作り上げたりする。


まぁほとんどの場合、私が知る天才たちは
自分のことを天才だと気づいていない。


天才たちを集めて、会社の経営を自分がするってのも面白いな。
社会的な手続きや、法律に関することは私がやるんで、
あなたたちは自分が思う、大好きな素敵なものを作ってください。

みたいな??

 

天才だったら、3試合連続予選落ちなんてせずに、
3試合連続金メダルだよな。うん。笑


もしかしたら、天才たちからこの世界を見たら、
全く別のものに見えるのかもしれない。

 

共感覚絶対音感。極度に敏感な感受性。

過集中。

 

ゴッホピカソの見た世界というものは、
本当にあんな色をしていたんだろうか。

モーツアルトやバッハは、どんな世界から音楽を見ていたんだろう。

 

 

天才が故の苦悩、生きづらさがあったのだろう。
それでも、歴史に残る作品を残した人たち。


現代社会の一般人からしたら、

理解できない範疇の感覚。
変わっている、、、普通じゃない、、、。

変だ。


普通の人はそう言うだろう。

 

 


それでも、絶対にその才能は素晴らしい。
普通じゃないからこそ、絶対に。
贈り物なんだよね。神様からの。
自信持っていいんだ。絶対に。

私は、そういう才能を持つ人の側にいたい。

 

糸井重里さん。この本、側に置いておきたい。

 

 

 

ちなみに私も、普通じゃないこと、

いくつか持ってる。

天才秀才とはまた違うカテゴリ。話は変わる。

 

 

 

普通 か 普通じゃないか。

普通じゃないから、今日本に居ないわけだ。笑
普通だったら社会人しているだろう。


そもそも 普通 ってなんなんだ??


80パーセントの人が言うことが 普通 で、
残りの20パーセントの反対意見は 変 なのか??

 

 

8対2の法則というものがあって、
世の中ほとんどこの割合で回っているらしいんだけど、
どちらかというと8側には入りたくないな。

普通 の人には理解できないんだ。
理解したくても、それを処理することができない。
納得 できないんだ。

わかっている。そんなこと。

だから、理解してほしいなんて、そもそも求めない。

私が 理解 できないこともある。
それを強引に納得しようとはしない。

 

 

人間関係で理解できないことがあったとする。
うん、それでいい。
それでも一緒にいればいい。
喧嘩してわざわざ離れる必要なんてない。

 

ごめん、その部分に関しては、ちょっと分かり合えないや。
そう言って、分かり合えないことがある

ということを知っているだけでいいと思う。

 

そうだよね、そこはちょっと分かり合えないよね。

これだけ。

 

そもそも普通の概念なんて適当なものなんだ。
日本の普通とイタリアの普通は大きく異なるし、
日本の普通は海外で全く逆に捉えられる場合もある。

 

例えるなら、ラーメンをすする。
こちら、日本では 普通。 

イタリアでは 行儀が悪い。

 

目上の人に 二人称を使う。
日本では常に敬語を目上の人に使うけれど、
イタリアでは親しい目上の人に逆に丁寧な三人称を使うと
なんだか一線を引いているように思われてしまう。
コーチに日本では絶対敬語だけれど、
イタリアで先生!!こちらでよろしいですか??
なんて言ってしまうと、よそよそしい!!!ってなる。笑
コーチ、これでいい??? みたいな。

 

 

だから、日本の外から日本を知るということは大事なんだ。
普通 を見直せるだろう。

 

人を自分の価値観だけで判断することだけは、

したくない。

 

ああ、またいろんなことを考えてしまった。笑

 

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こんな本を読んだせいだ。笑笑

 

 

 

本当素敵なカバー。手触り。

 

 

 

休みの日、昼下がりのカフェで

ゆったりしながら読みたい本。

 

言葉は届く ものから 刺さる ものになったらしい。

 

 

私は 包む 言葉を発していきたいなあ。

 

試合モードのときは 叫ぶ 言葉だけど、

普段は 言葉で人を包みたい。

 

 

もちろん三ヶ国語で。

 

元気?(^^)

Come stai??

how are you???

 

 

から、始まる会話がある。

 

 

 

 

さぁ、オフオフモードは終わりだ。

 

 

三カ月。がっつり頑張ろう。 

 

糸井重里

思えば、孤独は美しい。

フェンシング

イタリア